「おばちゃん力」は年齢がくれるギフトなのかもしれない
街中で急に話しかけてくる、全然知らないおばちゃんっているよね。
「ちょっと道を教えてくれるかしら?」というスタンダードな用件から、
「あら、あなたのそのカバン素敵ねぇ。どこで買ったの?」という友達か?ってノリの会話まで。
一番印象に残っているのは、わたしがバス停に並んでいた時、横にいたおばちゃんから
「ちょっと!!あなた芸能人の〇〇さんにそっくりじゃない!!」と、興奮気味に話しかけられたことだ。
そんなに似てましたか…
目と目が合ったら(合ってなくても)始まるポ〇モンバトルの如く。
こういうおばちゃんとの会話イベント、不思議と嫌だと思ったことがない。
謎の安心感がある
例えば、わたしが街中で知らない若い子に「その服かわいいですね。どこのブランドですか?」って話しかけたとする。
どうなると思う?
おそらく、怪訝な顔で「はぁ…?」と返されるだけだろう。
もしかしたら、ナンパや宗教の勧誘に思われるかもしれない。
その場を離れるまでは、少なくとも”警戒対象”として認識される可能性がある。
ところが、話しかけてきた相手がおばちゃんだと、途端にガードが緩くなるものだ。
「おばちゃん力」
なぜ、陽気に話しかけてくるおばちゃんには警戒心が薄れるのか、楽しく会話に参加できてしまうのかを考えてみた。
①世話焼きキャラが社会的に受け入れられている
通りすがりに世話を焼いて若者を救ったり、ほっこりさせたり…
こういったエピソードはSNSにあふれている。「進〇ゼミでやったところだ!」
「知っている現象」に対して、人は寛容になるものだ。
②ぐいぐい来る押しの強さ
特に日本人は押しに弱い傾向にある。
ぐいぐい来られると、その会話に参加せざるを得ないというか、勢いにのまれてしまう。
悪意ゼロの相手は邪険にしづらい。
それに、あの強引さが心地よい時もあったりする。
③人生経験を積んだ人というイメージ
謎の安心感の発生源はこれだと思う。
わたしたちの知らない時代を、強くたくましく生きた人たちだ。
人生の先輩から声をかけられると無意識につい耳を傾けてしまうのは、自然な反応なのかもしれない。
これぞ、「おばちゃん力」だ!
おばちゃんが地域を沸かす
この”話しかけてくるおばちゃんの文化”、わたしは廃れてほしくないと思っている。
スーパーで野菜を選んでいる時の「そっちにしときなさい。食べごろよ」
電車の中で泣いている赤ちゃんに「元気がいいねぇ。ほら、機嫌直して」
職場でミスをして凹んでいると「これくらい誰でもするわよ。気にしないで!」
「さっき外国人に道を聞かれたんだけど、英語わかんないから、ついてきな!って言ってそこまで連れてってあげたわ」
「意外とボディランゲージでなんとかなるのよねぇ」
これは前に勤めていた会社のおばちゃんエピソード。強くて好き。
彼女たちは、確実に街の温度を上げている。
年齢を重ねる楽しみがある
知らない人とでも、少しだけ言葉を交わせる社会。
それって素敵なことだと思う。
わたしは困ってそうな人には声をかけられるけど、”他愛のない会話を自然に始められるスキル”はまだ未習得だ。
どう頑張っても「不審者」の域を出ないだろう。
若さには若さの特権があるように、年齢にも年齢の特権がある。
わたしもいつか、ああいうおばちゃんになりたい。
年齢を重ねるともらえるギフト。いまからすごく楽しみだ。
